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<東日本大震災>イサダ漁、沖へ避難すべきか… 岩手沿岸
毎日新聞 3月8日(木)10時57分配信
岩手県沿岸で、春漁のさきがけとなるイサダ漁が8日、一斉にスタートした。大船渡湾(大船渡市)ではあの日、イサダの水揚げを終えて帰宅の途に就いた船主・船長の多くが港へ戻り、船を避難させるため沖へと向かったが、2隻が津波にのまれ、熊谷光男さん(震災当時67歳)ら2人が行方不明となっている。危険と隣り合わせの「沖出し」。今度津波が来たら、どうすべきなのか……。漁師たちは自問自答しながら、舵(かじ)を取る。
イサダ漁は、1県当たりの漁獲割り当てと1隻当たりの水揚げ量が決められている。あの日、早々に漁を終えた熊谷さんは、市内の温泉施設で体を休め、高台の自宅へ戻る直前に地震に遭った。
いったん帰宅した熊谷さんは、すぐに港へ向かう準備を整えた。これまでも、地震のたびに船を沖へ出してきた。「船は流されねえ。船方(乗組員)をかせ(食わせ)られなくなる」。心配する妻ミサ子さん(65)に「3日で戻る」と言い残し、軽トラックを走らせた。
港まで、やや距離がある。先に十数隻の船が湾の外へ出ていた。熊谷さんの「光栄丸」ともう1隻が湾口防波堤にさしかかった時だ。左右の堤を高く越えた津波が2隻を襲い、渦を巻きながらのみこんだ。後続の船は急きょUターン。がれきとともに湾内を漂い、何とか難を逃れた。
熊谷さんは75年に初めて船を持ち、91年に3隻目の光栄丸に乗り換えた。5人の船方を食わせるため、ひたすら船を守ってきた。その夫を35年間支えたミサ子さんのもとに戻ってきたのは、湾内に打ち上げられた光栄丸から取り外したスクリューだけだった。ミサ子さんは「父ちゃんはきっと、これからは海を守るつもりなんだ」と自分に言い聞かせた。
大船渡湾内に係留されていた船は津波でほとんどが壊れ、廃船になった船や、修理に丸1年かかった船もある。震災前は46隻がイサダ漁に出たが、今春は37隻。このうち沖へ逃げて被災を免れた吉川浩一さん(48)の「吉丸」が、光栄丸の船方のうち2人を乗せる。イサダ漁を前に、吉川さんは思う。「次の津波では陸へ逃げるという漁師もいる。でも、自分は分からない。やっぱり船は大事だ。最後は自分で判断するしかない」【市川明代】
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120308-00000023-mai-soci(引用ここまで)
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